こっそり支援

富山県を中心に北陸をこっそり応援するブログ。

第68回北日本新聞納涼花火(富山会場)


今年も富山市の空に、大きな花火が打ち上がりました。

この花火大会は富山大空襲慰霊の意味もこめて行われてます。1945年8月1日にアメリカ軍が大量の焼夷弾を投下し、多数の犠牲者を出しました。そのため曜日に関係なく、必ず8月1日に行われます。

そして毎回書いてますが、今回もこの文を引用しておきます。

(引用)-------

私事ですが、自分の祖父も第二次世界大戦に出兵しており、生前よくその話を聞きました。ただ、必ず最後には「戦争はいけない、絶対にしてはいけない。」と繰り返し、つぶやくように語りました。

本来は純粋に平和を願うべき思想に対して、今は金銭や利得の絡んだ話が多くなり、異常に偏向ある報道が行われたり、反発して極論を当たり前のように語る流れなどがあり、複雑な気持ちにさせられます。

第九条とか、自衛隊とか、正義とか悪とか、被害者加害者とか関係無く、「戦争はいけない、絶対にしてはいけない。」…打ち上がる美しい花火を見上げては、祖父の言葉を思い出し、改めて語り継いでいこうと思います。

(引用終わり)


今回、会場ほぼ正面の位置に3脚固定して撮影に挑みました。

会場の神通川富山空港の航路になるため、旅客機の時間を避けて花火が打ち上がります。
他県の花火大会を知っている人からするとあまり規模が大きくなく、時間も短いと聞きますが、富山県内では一応一番大きい花火大会とされてます。

あとは撮影した花火写真を列挙。





















間近でみると迫力もありますが、会場の音楽に合わせた演出や打ち上げもあり、意外に凝った仕掛けなのだと知ることできます。わりと混雑を避けて遠くで眺めるだけの人も多いようですが、機会あれば会場で眺めることもお勧めしたいところです。












さて、普段は政治的意見など一切書かないようにしているこのブログですが、どうしてもここ最近、あまりにも平和や戦争反対にたいして、短絡的かつ感情的な思考が目立ち、この現状に憂うこと多いため、今一度しっかり考えて欲しいと思い書くことにします。


まず、戦争を好きこのんでしようとする国は本来ありません。戦争は一度始めれば、相手国が降伏するまで続きます。降伏しなければ指導者を抹殺か捕虜にするまで続きます。金と資源と人を、普段の国の運営とは全く違う規模で消費することになりますし、国際的評価もガタ落ちして貿易などによる外貨獲得機会も無くなり、経済的損失は莫大なものになります。

それでも戦争を始めるというのは、そこに相手国と激しい利害関係が発生した場合、過去の憎しみや報復による場合、侵略ゲームが大好きな政治家の場合、宗教上の妄信によって行う場合・・・などいろいろありますが、金や資源、人材をどれだけ使おうが相手国をブチのめしたいという狂信的思想が無い限り、まともな思考を持つ政治家であれば戦争を始めることはありません。

ただ、相手国に豊富な資源が沢山ありながら、防衛がとても貧弱ならどうでしょう。多少の抵抗があれど、戦争仕掛けた以上のメリットがあるとき、戦争は始まります。

現在、力で押し込み「お前の所はどうせ勝てないんだから従え」と主張する国が現れました。それに対し、国同士で協力して同じ力を持ち、戦争をしかけたメリットよりも、デメリットが上回る状態にして、戦争が始まらないようにしよう・・・そういう法案や憲法改正の議論が始まっているわけです。

しかしながら、日本は戦後教育のこともありますが、「戦争はよくない!」「平和を守れ!」で思考停止し、平和を維持するための武力や抑止力の話に対しても、軍事アレルギーが激しすぎて、議論するだけで即座に「徴兵制度復活だ!」「開戦だ!」と極論が始まってしまいます。考えが拗れに拗れ、しまいには「戦争するくらいなら島ぐらいあげろ」「平和のためには侵略国に従えば良い」という話にまでなってきてます。「強盗と戦うぐらいなら殺されよう」と主張しているのです。強盗にとってはこれほどまで侵略しやすい国はないでしょう。一緒に平和運動反戦運動を煽れば、どんどん無血開城しやすくなります。
侵略国に従えば、平和な日常が続くと本当に思うのでしょうか?
日々の生活に絶望し先が無く、自殺する勇気が無いけど殺されたいという人なら望む未来でしょう。


でも、自分はこの美しい国で平和に生き続けたいです。きれいな風景を撮り続けたいし、大事な文化も続いてほしいと願ってます。だからこそ、他国に侵略されない防衛力を持って欲しい。そう考えてます。

戦争は誰もが反対なのは当然ですし、平和を願うのも当たり前です。戦争を起こす気が無くても、しかけられそうな時、どうすれば開戦にならず済ませられるか? 防衛力を持たなければ平和でいられるのか? 平和運動反戦運動を主張する方々に、今一度、深く考えて欲しいと願います。



とりとめのない文となりましたが、読んで頂いた方に感謝。後から読み直して文体の調整をするかもしれません。